こんにちはゆっきーです。
今回は学校教育において僕が少し疑問に思っている「挙手制度」についてです。
結論から言うと、内向型の子には辛くね?ってこと
先生「この問題わかる人ー?挙手!」
よくある光景ですよね。
これに関していつも疑問に思ってた。
「手をあげることと、その教科や分野に関して興味があるかどうかは別問題だろ?」
小、中学校のときからずっと思っていた。我ながら随分とひん曲がっていたな笑
僕がこういうことを友達に言うと。
「手を挙げるだけで成績が上がるならラッキーじゃん。」
みんな口々にそう言います。
僕はプライドが高かったせいもあり
「ぜってー手なんか挙げるもんか。」
「成績のために挙手をするのは道徳的ではない。」
なんだお前カントかよ笑 道徳論者か笑
こんな風にどんどん拗らせていきます。
こんなスタンスを取っていたので、当然成績は良くなかった。
テストでたまたまいい点をとっても「4」止まりだった。
いや、圧倒的にテストができるならこのスタンスでもいいのかもしれないけど
僕は当時からお世辞にも勉強はできるとは言えなかった。
成績をつける側としたら逆にいい成績をつける要素がない。
正直当時は本当に不満しかなかった。
「なんで先生は俺のやる気に気づいてくれないんだ。」
よくよく考えてみればやる気や興味関心を判断すのってすげー難しい。
表現しないものはわからないし、発言をしないと何も考えていないと見なされてしまうのは、悔しいが必然だと思う。
だって相手は自分が何を思っているかなんてわかるはずもないから。
でもね、みんなの前で発言するのって、刺激に弱い子には辛いと思う。
特に勉強できなかったりするとなおさら。
よく学校では「間違えてもいいから積極的に発言しなさい」
みたいなこと言われるけど。失敗許してくれない空気がある。
間違えると先生にやんわりと否定されるし、クラスメイトにはバカにされたりもする。
今となって考えてみれば、間違ったことについて否定をしているのに、あたかも自分の人間性を否定されているように感じてしまっていたのかな考えている。
たかが解答を間違えただけで人間性を否定してくる極悪な奴なんてそうそういないとでしょ。
他人はそこまで自分に興味はない。
学校側も挙手してくれた方が子供たちを管理しやすいし、挙手というのは目に見えてわかるし、挙げてるか挙げてないかで差別化もできるから成績もつけやすいんだろうね。
僕が問題に思っているのは
「本当はわかっているのに挙手をせず興味がないと見なされる内向的な子」と
「対してわかっていなくても挙手をして評価される外向的な子」
この違いがあるということ。
内向的な子にももう少し配慮があってもいいんじゃないかなと思う。
私もこの記事を読んでいるあなたも内向的であるという心当たりは大いにあると思う。
そういった人たちに「甘えだ」「頑張ればいける」
みたいな事言ってもできない。そういう問題ではないんだよね。
基本的に僕らは話かけられないと喋りませんから笑
挙手制度はいい面もあると思う。
でもあまりにも外向的すぎはしませんか?
もう少し内向的な子にも有利になるよにならないですかね?
みんなからの注目を集めるようなことに対しては、内向的な子供は刺激が強すぎるから、違うアプローチで興味関心を評価できないものだろうか。
挙手しないからといって興味がないわけではない、このことは先生方にもわかっていただきたい。
今回は挙手制度についての疑問でした。