こんにちはゆっきーです。
今回は僕のことをよりよく知ってもらうために僕の歴史をざっくりと紐解いていこうと思います。
幼少期
幼少期はとにかく体が弱くすぐ病気になったり,皮膚が弱くてなんども皮膚科に行ったり、食べ物アレルギーも多く卵、牛乳、そばはアレルギーで食べることができまでんでした。(今は治ってどれも食べられるようになった)
仲のいい友達や保育園の先生とは普通に喋れるのに、初めて会う人の前では親の後ろに隠れてしまうような子供でした。
めちゃくちゃ敏感で内向的でしたよそりゃ。
保育園で思い出したのですが
今考えると僕が通っていた保育園ほとても理解のある保育園でした。
僕がかなりワガママを言っても先生たちは僕を尊重してくれたり何かを強要して来るようなこともありませんでした。
幼稚園とか行っていたらどうなっていたことか、この保育園に行っていなければ今の僕はいないと思う。
幼少期の体験がその後の人格形成に大きな影響を与えるということは言うまでもありません。
保育園のエピーソドはいっぱいあるので、またどこかで書きたいです。
小学校時代
保育園の自由な環境から一変、ルールのオンパレード。
特に一年生の時は今でも鮮明に覚えています。
担任の先生がとにかくすぐキレる先生で僕が新しいルールに慣れずにオドオドしてると舌打ちされたりため息をされるんですよ笑
そんな先生の様子をみてさらにオドオドする僕。幼いながらも辛かった日々です。軽くトラウマ笑
この辺りから何か解らないことを人に聞いたり、自己主張するのはいけないことだと思うようになっていきました。
しかし三年生から野球を始めて性格が少し明るくなりました。運動は偉大だ。
小学校って運動できるヤツが社会的地位を得る風潮あるじゃないですか。
野球をやっていたせいか運動はそこそこできたのでカースト的にもそこそこ上の方にいました。
小学校時代は内向的な性格は少し影を潜めます。
中学校時代
黒歴史
楽しい思い出もあるが、それ以上に嫌な思い出の方が多い。
このくらいの年頃から息苦しさを感じるようになってきて、友達との距離が開いていきます。
色々と気づいてしまったのだと思います。
中学生あたりからとにかくみんな一緒、違うといじめられるような圧力があると思います。
話題もみんなと共有しないといけない、一人でいると後ろ指を刺される。
最初はみんなと一緒じゃなきゃいけないと自分でも思っていたし、無理してみんなに合わせていた。
無理してるのは伝わるもので軽くハブられたこともあります。
いやー辛かった
書きたいエピソードが多すぎてここでは書ききれないくらい。
そんな中、僕はとある本に一人でいることの勇気をもらう。
高校時代
基本一人でいることが多かったです。
野球も辞めて集団と関わることもなくなり、自分と向き合うことが多かったです。
「自分ってなんだ」「他人ってなんだ」みたいなことから
「あの人はなに考えてるんどろう」「どんな価値観だろう」「なにが面白くて笑ってるんだろう」
みたいな自分の事とか人間観察をしていました。
基本ぼっちだったけど、考えるには一人が一番いいと、この頃気づきました。
そのうち仲の良い友達も出来て、人と違う事を認められれば逆に人と仲良くなれるんだとわかった。
ちなみに野球を辞めて軽音部に入ってギターを始めました。
楽器は内向的な人にめっちゃオススメです。
そして今
今は平凡な大学生です。
大学は風通しいいですよ、自由度が高いので良くも悪くも自分次第
僕はサークルとか入ってないので、変なしがらみとかはないです。
クラスとかないので、人間関係が流動的で特定の人と関わらなくてもいいので楽です。
リア充してなくても気にならない(そりゃ羨ましいけどさ)
今になって気付いたことは
僕は人と関わるとすぐに疲れてしまうけれど、人との関わりは捨てられない
本当は色々な人と関わりたい、いろんな人と仲良くなりたい
根底にはこれがあると思う。
敏感だからといって人が嫌いだと勘違いしていたんだと思う。
このサイトを立ち上げたのも、僕と同じような人とネット上だけでも交流をしてみたいという思いが一つの理由です。
どんどん更新していくんでよろしくお願いします。
以上簡単ですが、ゆっきーの年表でした